ビッグロックとは | BIGROCK

私たちがフリークライミングを始めたのは1982年。日本にフリークライミングが紹介されて数年がたったころでした。それまでは山を中心に活動してきましたが、雑誌で見た「ヨセミテ渓谷」の写真に引き込まれ、この世界に足を踏み入れました。しかし鷹取山や、幕岩、小川山などでのフリークライミングはそれ以前からおこなっていましたので違和感なくこの世界に入ったと言えるでしょう。フリークライミングの魅力に見せられた私たちは翌年、あこがれのヨセミテを含むアメリカでのクライミングツアーへ3か月間出かけ、本場のクライミングに圧倒されながらも、その楽しさに心を奪われ、その後30年間クライミング中心の生活に浸かっていったのです。1986年半年間のアメリカツアーから帰国した私たちは、日本でのクライミングスクールを始めることを決心しました。とはいえまだまだ日本でのフリークライミングの認知度は低く、スクールへの参加者は1~3人程度。それでも続けるうちに少しずつうわさが広まり、3年後にはスクールだけで食べていける生活を手に入れたのです。文字通り「趣味が高じて仕事となった」クライミングですが、1989年に山と渓谷より出版された著書、「フリークライミング入門とガイド」に後押しされたといっても過言ではないでしょう。この本によって一気に有名人?となってしまった訳です。その頃のクライミングの世界はどうなっていたかというと、山でのクライミングを行うアルパインクライマーとそれに対抗するフリークライマーがはっきりと分かれていて、多くの山岳会ではフリーは禁止、とかフリーなんかやっても役に立たない、と敬遠されていました。しかし、一部の先鋭的なアルパインクライマーはフリークライミングをしっかり取り込み、トレーニングをして高グレードのルートにも取りつきました。フリ-クライミングは基本であり、必要なものだということを身体で理解し周りに示していたのだと思います。

80年代前半はアメリカから紹介されたクラッククライミングがフリーの代表格でしたが80年代後半に入りヨーロッパの高グレードのボルトルートが紹介されると、日本でもラッペルボルトにより開拓がはじまり1987年には5.13~のルートが開拓されました。その先陣を切っていたのがビッグロックのオーナー、大岩純一です。

その後1994年に、私たちはクライミングジムのオーナーとなり現在に至っているわけですが、一般の人がクライミングをスタートするのはまだまだ先の話です。
当時のジムのお客様となったのは、もちろんフリークライマー、そしてアルパインクライマーと山登り愛好者の人たちでした。人工壁のジムが増えるにつれ、一般の人たちにも少しずつクライミングは浸透し、2000年ごろには各地に主要なルートジムができ、2010年頃からは、最もシンプルなクライミングスタイルであるボルダリングのジムが増え続けている状況です。クライミングが一般化して人口が増え、ジムもどんどん増え、そしてまた人口が増える。今では子供たちが遊ぶ商業施設の中にもクライミングウォールができる時代です。それだけクライミングがレジャー化し、誰でもが遊びの一環でクライミングを楽しむことができるようになりました。昔を思えば夢のような世界です。レジャーとしてのクライミングが一般的になった昨今ですが、その中にはビッグロックのように、昔の厳しい世界を残しつつ存在しているジムは、数は少ないながらも残されています。ビッグロックではマナーやルールに厳しい一面があります。それはクライミングというスポーツがアウトドアで行う危険な要素を含むクライミングにつながっているからなのです。ジムでクライミングを始めた人の中には自然の岩を相手にする、本来のクライミングをやりたいと思う人が必ずでてきます。ジム内での安全な環境下でのそれと自然のそれとは危険度において雲泥の差があるのです。それを理解しないまま外に出るのは無謀と言えるでしょう。しかしクライミングの危険を理解し、慎重に一歩づつ経験と実力をつけ、自然との付き合い方をマスターした人は、ジムでのクライミングに比較できないほどの楽しさ、充実感をフリークライミングから得ることができます。

私たち、クライミングジムビッグロックの根底は、アウトドアで自然の岩を相手に、安全に楽しくクライミングできるクライマーを育てること。ビッグロックでクライミングを覚えた人たちが私たちと同じようにクライミングを好きになり、楽しんでくれるように、そのアプローチを手助けすること。それができればこのジムを続ける甲斐があります。

2015年5月8日
大岩あき子


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